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ジオパーク秩父案内① 「長留の”ようばけ”」

「ジオパーク」とは、地球科学的に価値の高い地質・地形を持つ地域を保護しつつ、教育や防災・観光に活用し、持続可能な発展を目指す「大地の公園」のことです。明治時代から秩父地方は多くの学者・学生が訪れて研究が成され、大古の日本列島の様子を知ることができることから「地球の窓」と称されて日本近代地質学発祥の地となりました。

「ジオパーク秩父」は秩父地域1市4町をエリアとし、平成23年に日本ジオパークに認定されました。これからブログやインスタグラムでその一端をご案内していきたいと思います。

まず、初めに「長留(ながとめ)の ” ようばけ ” 」です。小鹿野町長留地区、赤平(あかびら)川の東面に高さ100m、幅400mにわたって巨大な地層の露頭が見られます。  ” ようばけ ” とは不思議な呼び名ですが、これは「巌(いわお)」が訛って「よう」となり、「崖(がけ)」が訛って「ばけ」となったという説と、「陽(よう)」が当たる「崖(がけ)」から「ようばけ」になったという説があります。

いずれにしても、その圧倒的な地層のしゅう曲は、大地の巨大な力を感じさせてくれます。この ” ようばけ ” は、今から約1500~1600万年前の海底につもった泥や砂が隆起してできたもので、当時、日本が海底にあった証拠となっています。ここからは数多くの化石が採取されており、隣接する「おがの化石館」には貝やカニ、クジラやサメなど多くの化石が展示されています。

ようばけ①
ようばけ①
ようばけ②
ようばけ②
ようばけ③
ようばけ③
おがの化石館①  パレオパラドキシアの標本=1500万年前に海辺に生息していた絶滅哺乳類
おがの化石館①  パレオパラドキシアの標本=1500万年前に海辺に生息していた絶滅哺乳類

大正5(1916)年9月、当時、盛岡高等農林学校の2年生だった宮沢賢治は担当教授らと共に地質巡検(見学旅行)のためこの地を訪れています。ここで賢治は「さはやかに 半月かかる薄明の 秩父の峡の かへり道かな」という短歌を残しています。「おがの化石館」の裏には ” ようばけ ” を背にして石碑が立っていますのでごらんください。

おがの化石館② 宮沢賢治の歌碑(右)
おがの化石館② 宮沢賢治の歌碑(右)
おがの化石館③ 右上が賢治
おがの化石館③ 右上が賢治

 
 
 

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