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『秩父路そぞろある記』ー秩父夜祭裏話③

更新日:2022年9月28日

 秩父神社は戦国時代、武田信玄の軍勢が雁坂峠を越えて秩父に侵攻した際に焼失し、その後、徳川家康が関東に入国したとき、家康の命で再建されました。ですから屋根を支える垂木に葵の御紋のレリーフがあるのです。現在の社殿は昭和42年に建てられたものですが、その前まで社殿は階段を上って神門をくぐったすぐの場所にありました。実はこの年、台風でご神木が倒れ、社殿の一部を損壊してしまったのです。そこで、現在の位置まで社殿を後退させて修復をしました。残念ながら現在は補修工事のため、ファサードでおおわれて見ることができませんが、化粧直しが成った際は美しい姿をごらんいただけることでしょう。

 社殿の周囲を囲む森は「柞(ははそ)の杜」と呼ばれ、親しまれています。「柞(ははそ)」とは、和歌で「母」や「親」を修飾する枕詞(まくらことば)です。ほかにも「母」を表す枕詞には「たらちね」があります。漢字ではズバリ「垂乳根」です。お母さんといえばオッパイという連想は今昔変わりなしということでしょう。境内に

立つイチョウの枝には「乳根(にゅうこん)」といわれる乳房の形をした気根が見られます。昔、女性は赤ちゃんを授かると(母乳がよく出ますように)と願いをこめてこの乳根を撫でたそうです。(※これが本当の”乳撫神社”!?)

 さて、では「父」の枕詞は?・・・なぜか「乳の実」と言います(!)。私の母校の校歌に「♪乳(父)の実(命)の~秩父の里♪ははそば(母そ場)の~柞の杜」(※掛詞になっています)という一節があります。これを私たち男子生徒は「乳飲みの」と心の中で歌詞を変えて声高らかに歌いました(笑)。

 秩父っ子は、このように高尚な文化の下で大人になっていったのでした(笑々)。


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